生殖細胞系列バリアントに起因する造血器腫瘍は、近年その認識が高まりつつあるものの、依然としてその病態、診療に関する理解は不十分である。2025年に造血器腫瘍遺伝子パネル検査が承認されたことを受け、今後造血器腫瘍患者に対するゲノム医療が急速に一般臨床に広まることが予想されるが、遺伝性造血器腫瘍(IHM: Inherited Hematologic Malignancies)に関する基礎的、臨床的、疫学的理解は限定的である。
IHMに関連した遺伝子群として、DDX41、RUNX1、GATA2、ETV6 などが挙げられる。これら遺伝子の病的バリアントは、造血器腫瘍を発症するリスクを付与するものであるが、がん化へとつながる分子機構、浸透率に寄与する因子は不明な点が多い。さらに、最適な臨床管理戦略、患者およびその家族を支援するために必要な社会的・倫理的枠組みは確立されていない。
2026年4月現在、我が国にはIHMに関する基礎・トランスレーショナル研究、診療基盤、ならびに社会的支援体制を統合する包括的なプラットフォームは存在しない。その結果、生殖細胞系列バリアントの解釈の一貫性や、サーベイランス戦略の標準化、治療、キャリアーに対する予防的アプローチは標準化されていないのが現状である。さらに、患者およびその家族に対する支援体制も不十分な状況である。
これらの課題に対応するため、日本血液学会ではここにInherited Hematologic Malignancy Initiative(IHMI)を発足する。本イニシアチブの使命は、本邦における遺伝性造血器腫瘍のプレシジョン医療体制を構築することである。すなわち、IHMに関する基礎研究、トランスレーショナル研究、診療基盤、ならびに社会的支援体制を統合するプラットフォームとして機能する。組織横断的かつ学際的な連携を通じて、正確な診断の実現、リスク層別化の向上、エビデンスに基づく診療体系の確立、治療革新の推進、ならびに持続可能な社会的枠組みの整備を目指し、IHM患者のQOLの向上を図るものである。
これらの目標を達成するため、以下の3つの目的を遂行する。
IHM患者およびその家族に対する実践的かつエビデンスに基づく診療体系を確立することは喫緊の課題である。同時に、IHMの発症や予防につながる新規治療モダリティの開発も必要である。
日本血液学会(JSH)は2025年に「造血器腫瘍におけるgermline findingsの取り扱いガイド1.0版」を公表した。本イニシアチブの下で、国際的なガイドラインおよび日本人集団におけるリアルワールドのゲノムおよび臨床データを踏まえ、当該ガイドラインを定期的、かつ継続的に改訂する。さらに、生殖細胞系列の病的バリアント保因者である血縁者への対応に関するガイドライン、保険診療下での検査体制のあり方等の検討をおこなう。
ヘムサイト®をはじめとした遺伝子パネル検査により、IHMに関連した病的バリアントの相当数が同定可能となったが、IHMが疑われる症例の中には、パネル検査では原因遺伝子特定に至らない患者が存在する。このような症例に対するクリニカルWGS体制を構築するため、1)エキスパートパネル(EP) の構成および報告体制の整備;2)対象患者の適格基準および対象集団の明確化、さらには3)将来的なIHMに対する保険診療下でのクリニカルWGSを目指した適切な臨床試験デザイン等を検討・策定する。
RUNX1およびDDX41関連骨髄系腫瘍等のIHM関連疾患の患者予後は必ずしも良好とはいえず、新規治療法の開発が急務である。また、生殖細胞系列の病的バリアント保因者(キャリア)における、造血器腫瘍発症を予防する方法は存在しない。IHMの新規治療法や予防法を開発するため、IHM細胞の脆弱性を標的とした新規治療方法の開発や、発症予防の観点から、関連バリアントを ex vivo で修復する遺伝子編集技術基盤の開発等を促進し、将来的な臨床応用の基礎を構築する。
IHMは稀少であり、比較的新しい疾患概念である。そのため、医療関係者全般における疾患の認識度・経験値は低く、一般社会における認知度も十分ではない。
2025年の臨床ゲノムパネル検査の臨床実装に伴い、IHMに関するリアルワールドデータは急速に蓄積されることが見込まれる。本邦におけるIHMの疫学的、臨床的実態を明らかにするため、中央集約的な全国IHMレジストリを構築する。ゲノム情報および臨床情報を体系的に収集し、遺伝子型と表現型の相関解析、臨床転帰の追跡、ならびに将来のガイドライン策定および政策立案に資するエビデンスを創出する。さらに、IHMの基礎研究・トランスレーショナル研究を促進する目的で、全国からIHMバリアント保因者、発症者の検体を収集し、IHMバイオバンクを構築する。
本邦においてIHM診療に精通した臨床医および遺伝カウンセラーの数は限られている。また、関連バリアントの病的意義や、浸透率、疾患経過に関して未解明な点も多い。これらの課題に対応するため、IHM診療に携わる医療従事者を対象とした知識共有体制(IHMヘルプデスク)を、小児、成人領域横断的に構築し、IHM患者およびその家族への支援を推進する。
IHMの発症・進展に関わる分子機構、例えば病的バリアントの無症候性キャリア状態から顕性の造血器腫瘍への移行を規定する分子機構を解明することは、本領域におけるプレシジョン医療確立のために不可欠である。また、IHMの希少性ゆえ、各関連バリアントの病的意義が確立していないことも多く、病的意義を規定する新たな手法を開発することも重要である。
生殖細胞系列の病的バリアントの存在に加えて、体細胞レベルにおける対側アレルの不活化は、IHM発症につながる重要なイベントである。しかしながら、その細胞起源およびセカンドヒットが生じる時系列は不明である。IHM発症予防、先制的治療開発に向けて、一細胞全ゲノム解析(sWGS)による系統樹解析等を駆使して、セカンドヒット獲得の細胞起源やその発生時期を同定する。
IHM関連生殖細胞系列病的バリアントを有するキャリアが生涯において、必ずしもIHMを発症するわけではなく、浸透率を規定する分子・遺伝学的機構は未解明である。単一細胞マルチオミクス解析技術等を用いて、発症前細胞および発症後細胞のゲノム、エピゲノム、トランスクリプトーム特性を解析し、浸透率に寄与する分子・遺伝学的機構を解明する。
IHM関連遺伝子における病的意義不明バリアント(VUS)の適切な解釈は、IHM臨床における重要な課題であるが、疾患の稀少性により、ClinVar などの公共データベースに十分な根拠が蓄積されていないことが多い。各VUSの病的意義を機能的・細胞生物学的に規定するため、遺伝子編集技術等を用いてIHM関連VUSの病的意義を網羅的かつ系統的に評価する。
IHMIは本邦における遺伝性造血器腫瘍のプレシジョン医療を支える包括的かつ持続可能な基盤を確立するものである。IHM診療の標準化、基礎研究・トランスレーショナル研究の促進、ならびに国家的インフラの統合を通じて、IHM患者およびその家族のQOL向上に寄与することを目指す。
