日本血液学会

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先輩たちからのメッセージ(久林 正斗 先生)

更新日時:2022年7月5日

久林 正斗
(倉敷中央病院 血液内科)

もしかしたら、このページをご覧になられている先生方や学生の方々の中には、他科と血液内科を進路として悩んでおられる方も多いかと思います。参考になるか分かりませんが、私が血液内科を志した経緯を述べさせていただきます。

私が高校3年生秋頃、いわゆる受験勉強に1番時間を割かないといけない時期に、親友が、右の首の辺りがボコっと腫れ出し、熱が続くということで検査入院しましたが、結局原因が分からず、他の病院に入院して再度検査をするとのことでした。医者っぽくいうと、頸部リンパ節腫脹を伴う不明熱があり、原因精査目的に入院したという感じですか。当時、自分はいつ戻ってくるのかなぁぐらいの軽い気持ちでした。結局、血液の病気と分かり、その後入院し、彼は治療の合間をぬって、センター試験・前期試験を受験し大阪大学に合格しました。一方の私は、中学高校とテニスばかりし、勉強は全く出来ず、医学部を受験するももちろん不合格となりました。1年の浪人期間中、親友の病気がよくならず移植治療を受けることを聞いていましたが、自分も浪人していたこともあり、あまり、病状は良くないんだろうなと程度にしか思っていませんでした。その後、なんとか1年で医学部に合格することができ友人達と1年ぶりにお見舞いに行きました。当時の彼は元気な頃とは激変しており、かなりやせ細っており、歩くこともままならない状態でした。それでも高校時代と変わらず、お茶目なことを言って僕らを笑わせてくれました。お見舞いの後に、彼の母から、ここ最近あんな笑顔を見せることはなかったから、来てくれてありがとうと言葉をかけられました。大学入学後、数週間して、彼が亡くなったという連絡が入りました。血液の病気はこんな若い友人の命さえも奪っていくのかと感じ、なんとか治る方法がなかったのかなと考えるようになりました。これが私が、血液内科というものを漠然と思い描く様になったきっかけです。

無事、国家試験合格後、大手前病院で初期研修を行いました。当初、大学入学時はテニスをしていたこともあり、スポーツ整形を考えていましたが、1年の研修終了時に自分は内科に進もうという考えに至り、結局、私は珍しい2択かもしれませんが、血液内科と循環器内科で迷いました。
どちらも素晴らしい指導医に恵まれ、患者さんとの素晴らしい出会いや辛い別れを経験しました。どちらも命を救えるという点では共通していたと思っています。最終的には、親友の様に不幸にも大病を患った若い患者さんを救える可能性がよりある、血液内科を専攻することを決めました。

現在、血液内科を専攻し1年弱経過しましたが、まだまだ分からないことだらけで日々勉強ではありますが、一人前の血液内科医になれるように日々精進しています。

この拙いコラムを読んでくださった研修医の先生方や学生さんが将来、どの道に進んだとしてもより良い医師として活躍されることを願っております。

基幹病院倉敷中央病院の血液内科の先生方と共に
基幹病院倉敷中央病院の血液内科の先生方と共に

研修させていただいている尼崎総合医療センター血液内科の先生方と共に
研修させていただいている尼崎総合医療センター血液内科の先生方と共に

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